沿革
HISTORY
-
明治41年米国ペンシルバニア州のインマヌエル・ルーテル教会で、「日本に女子学校を作るため」に5ドルが献金される
-
大正10年9月北米一致ルーテル教会婦人伝道局総会で、日本に女子学校建設を決議
-
大正11年日本のルーテル教会第3回総会で、女子学校設立を決議
-
大正12年1月米国婦人伝道局が17万5千ドルを目標に募金運動開始。2年間で延べ30万人から25万6182ドルを募金。特に、オハイオ州のジェームズ夫妻は、日本への宣教師を夢みて8歳で夭折した娘ジャニスのために特別多額を寄付。新しくできる学校は「Janice James School」と呼ばれることになった
-
大正14年12月私立学校認可申請を熊本県知事に提出、翌年2月認可
-
大正15年4月九州女学院を5年制のキリスト教主義の女学校として開校。初代院長はマーサ・B・エカード
-
昭和3年10月10月3日、高等女学校令と同等の学力のあるものとして文部省の指定を受けた。以後10月3日を創立記念日とする
-
昭和6年2月修業年限5箇年指定(高等女学校高等科入学資格)
-
3月第1回卒業式
-
昭和16年11月九州女学院財団法人設立。校名は九州女学院高等女学校となる
-
昭和18年4月戦中の国策に沿うように四年制高等女学校となり、清水高等女学校に校名変更
-
昭和21年3月同窓会「のいばら」会発足
-
6月五年制高等女学校へ復帰。九州女学院高等女学校となる
-
昭和22年4月九州女学院中学校設置(新制)
-
昭和23年4月九州女学院高等学校(新制)および九州女学院幼稚園を設置
-
昭和50年4月九州女学院短期大学 開学
-
昭和60年4月九州女学院短期大学開学10周年記念式典挙行
-
昭和61年4月九州女学院短期大学臨時入学定員として英語学科の入学定員を200名に改正、九州女学院短期大学2号館落成
-
平成2年4月九州女学院短期大学開学15周年記念式典挙行
-
平成5年7月九州女学院短期大学体育館、研究室棟(3号館)竣工
-
平成8年5月九州女学院エカード会館、1号館別館増築竣工
-
平成9年4月九州ルーテル学院大学 開学
人文学部人文学科(入学定員150名・男女共学) -
平成10年3月九州女学院短期大学 閉学(廃止)
中・高教諭一種免許状(英語)、特別支援学校教諭一種免許状の課程認定 -
平成11年3月中・高教諭一種免許状(英語)、特別支援学校教諭一種免許状の再課程認定
-
平成12年10月野々島グラウンド完工
-
平成13年4月九州女学院中学・高等学校からルーテル学院中学・高等学校と校名を変更し、男女共学校となる。法人名を、九州女学院から九州ルーテル学院に改名。さらに、九州女学院幼稚園からルーテル学院幼稚園と園名変更
-
7月中学高校男子寮竣工
-
平成14年10月大学4号館竣工
-
平成15年7月菊南グラウンド完工
-
平成16年4月高等学校教諭一種免許状(公民)の課程認定
人文学部人文学科(入学定員75名)及び人文学部心理臨床学科(入学定員75名)設置
大学基準協会正会員認定 -
平成18年4月九州ルーテル学院大学大学院 開学
人文学研究科障害心理学専攻(修士課程)(入学定員5名)
特別支援学校教諭専修免許状の課程認定 -
平成19年4月人文学部人文学科キャリア・イングリッシュ専攻(入学定員35名)及びこども専攻(入学定員40名)設置
幼稚園教諭一種免許状の課程認定
特別支援学校教諭一種免許状(知的障害者・肢体不自由者・病弱者)の課程認定
指定保育士養成施設認定
特別支援学校教諭専修免許状(知的障害者・肢体不自由者・病弱者)の課程認定 -
平成21年4月大学基準協会認証評価適合(第1期)
-
平成22年4月小学校教諭一種免許状の課程認定
-
平成23年4月九州ルーテル学院大学 人文学部人文学科こども専攻に保育コースと児童教育コースを設置
-
平成26年7月こころとそだちの臨床研究所 開設
-
平成28年4月九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園 開園
大学基準協会認証評価適合(第2期) -
平成29年4月人文学部人文学科こども専攻(入学定員50名)及び心理臨床学科(入学定員65名)に変更
-
平成30年九州ルーテル学院大学において公認心理師養成課程認可
-
令和4年九州ルーテル学院大学大学院において公認心理師養成課程開設
-
令和5年学科・専攻再編
人文学部人文学科こども専攻を保育・幼児教育専攻(入学定員30名)及び児童教育専攻(入学定員35名)に変更。心理臨床学科(入学定員50名)に変更